数々の人気ドラマを手掛けてきた脚本家・相沢友子さん。
脚本家として成功していますが、若い頃から美人で歌手・女優など異色の経歴を持っているんです。
この記事では、そんな相沢友子さんの若い頃を写真とともにまとめます。
相沢友子の若い頃が綺麗すぎる!
ドラマ「ミステリと言う勿れ」や「セクシー田中さん」等で話題となった脚本家・相沢友子さん。
2024年1月現在52歳ですが、とても綺麗な方ですよね。
そんな相沢友子さんですが、若い頃からとても美人なんです!
ハーフのような少し日本人離れした顔立ちですね。
スタイルも良く、クールなイメージがかっこいいですね!
そしてこれらの写真から分かるとおり、相沢友子さんは若い頃から歌手として活躍していたんです。
相沢友子は歌手→脚本家という異色の経歴
そんな相沢友子さんですが、
- 歌手(シンガーソングライター)
- 女優
- 脚本家
という異例の経歴を持っているんです。
19歳で歌手デビュー
相沢友子さんは1991年、当時19歳のときに歌手デビューをしています。
デビューシングルは「Discolor Days」という曲。
相沢友子さんの公式サイトには、ジャケット写真が残っていました。
この写真もまた、19歳とは思えない美しさですよね…!
高校時代から、もともと歌詞を書いていたという相沢友子さん。
当時のソニーミュージックのスタッフから歌ってみては?と誘われ、シンガーソングライターとなったそうです。
合計4枚のアルバムを出されています。
さらに「カラッポの記念日」という曲は「とっても母娘」という昼ドラの主題歌に起用されています。
当時からその才能が認められていたんですね。
女優としても活動を始める
当時からその美しさが注目されていた相沢友子さん。
歌手活動をしながらホリプロにも所属し、女優としても活動をスタートさせました。
Wikipediaで出演作として記録されているのは、
- 僕らに愛を!(1995年)沢井薫子 役
- 総理と呼ばないで(1997年)事務員 役
でした。
「僕らに愛を!」では、女優・鈴木杏樹さんの同僚であるCA役を演じていました。
しかし、実は相沢友子さんはこの頃から芸能活動がうまくいかず、最終的にソニーとホリプロとの契約を解消されてしまいます。
若い頃から綺麗だった相沢友子さんにも、このようにスランプに陥った経験があったんですね。
27歳で小説が賞にノミネート
そこで相沢友子さんは、歌詞を書いてきた経験をもとに小説を書き始めます。
そして1999年、相沢友子さんが27歳の頃、
小説「COVER」が第15回太宰治賞の最終候補作にノミネートされました!
そこから歌手兼女優の頃のマネージャーの紹介で、脚本の勉強を始めたそうです。
相沢友子さんの経歴は全て繋がっているんですね!
28歳で脚本家デビュー
そんな相沢友子さんは、2000年に「世にも奇妙な物語」で脚本家デビューを果たしました。
それ以来、数々の人気作品を手掛けてきた相沢友子さん。
このように若い頃から貴重な経験を積み重ねてきたからこそ、“美人脚本家”として成功したのでしょう。
これからもそんな相沢友子さんの作品に期待です。